親父が初盆を迎えます。あっという間でした。僕の部屋にある親父の遺品に日々、拝み、感謝はしてはいますが、なかなか時間を作れず、墓参りにいけてせん。初盆は、家族で迎える予定です。
いまの自分があるのは、先祖代々つづく血縁であり、物心つく前の自分を形成してくれた両親のおかげです。人並み外れて、克己心が強いのも、そのおかげでしょうと思っています。
100年後には、僕も家族も、いまいる周りの人も、存在はしていません。でも、魂、思いは継続すると信じています。
初盆の親父に、感謝、感謝です。
6 件のコメント:
藤田先生おつかれさまです。今日先生のブログみてビックリしました。春でしたか・・・お父様お母様お墓の前で写真写されたのをみて素敵なご両親ですね・・とコメント
して数ヶ月その間に今年はお父様の初盆なんて・・・80歳をすぎるといつどうなるかわかりませんね・・私も88歳の父84歳の母兄弟達とこれからも生きていてくれるのは儲けもんだと感謝しないとね・・とはなしてます。父は車の免許返すの嫌でこの間白内しょの手術をして無事免許もらえました。本人は目も良くなりまた車にのれる・あんたいだなーと満足していました。皆さんでお父様の初盆むかえるのはお父様も喜んでいますね。
ありがとうございます。ご両親とも、健在でなによりです。楽しく、生きてもらえることが一番ですね。
ここ数年前から、同級生の親御さんにおける訃報が、度々聞こえて来ます。
有り難いことに、私の両親は健在です。ただ、この先、どれだけ一緒に居られるかなど、誰にもわかりません。
唯一分かるのは、刻々と別れに近付いていること。誰もが通る道とはいえ、親との別れをどう受け止めたらよいのか、不安になったりもします。「孝行したい時には親はなし」にはならないようにしたいものです。
ピッコロさん、自分が生まれたから、当たり前のようにいる親がこの世からいなくなるということ自体が、とても信じらないことのように思えるとおもいます。
親の死が、自分にとって、もともとある自分の中の死生観を完成させてもらいました。とても、感謝しています。両親が元気であったころは、自分の外来で年に数回しかあっていませんでしたが、いまは、一人になった母と月に一回、大丸に会食にいくようにしています。いろんな意味でとても、勉強になります。
親がどんなに闘病生活が長くても、逝ってしまうなんて考えもしないものでした。
子供たちの中で一番病院に縁ばかりある私は随分と心配かけたものです。
故障も多かったけれど、何時も元気に仕事三昧の日々でした。
楽天的な父は、私がどんな状況でも「仕事に行けるから良いのではないか」などと言って母に咎められていたものです。
歳月が過ぎると悲しみを通り越してすべてが懐かしく思います。
かってテレビでも紹介された、菊田まりこ氏の絵本「いつでも会える」にある、飼い主の女の子をなくした犬が「目をつむるといつでも会えるんだ、遠くて近い所にいるんだね」の言葉にある様に想わない日々はなく、いつも見守ってくれているし、心配かけないように頑張って生きたいです。
先生もご多忙でも、お母様との時間を大切になさって下さい。
母親はとくの息子が可愛いものらしいです。
yuzuさん、そのとおりです。いつでも会えます。
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