札幌ハートセンター

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Dr Fujita's blog. Enjoy it

2009年3月10日火曜日

看護とは、

ネットでしらべるといろいろありましたが、ナイチンゲールがいったこの言葉が一番しっとりきました。

看護はすべての患者に対して生命力の消耗を最小限度にするよう働きかけることを意味する。すなわち、看護とは患者新鮮な空気、太陽の光を与え、暖かさと清潔を保ち、環境の静けさを保持するとともに、適切な食事を選んで与えることによって健康を管理することであるとしている。とりもなおさず、健全な生活環境を整え日常生活が支障なく送れるよう配慮することが看護なのである。

やはり、やさしく患者さんのそばにいて、元気にしてあげることが看護なんですね。安心しました。

看護計画もこれを実現するために必要であり、。患者さんを元気にすることが基本なんですよね。

やはり、リーダー業務とか、医者の指示うけとか、そこらへんに振り回されないようにしてあげないといけないですね。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

患者さんはきっと、難しい事を望んではいないのでしょうね。ただ苦痛をわかってくれて、そっと寄り添ってくれるだけでいいのだと思います。
看護師さんの優しい一言で、辛い治療でも頑張れると思うのです。
沢山の看護師がいれば、中には何でこの仕事を選んだのだと言うような人もいるのも、仕方のない事実です。

以前本で読んだ、ナイチンゲール誓詞が看護のすべてを物語っている気がします。

rotaman さんのコメント...

こんな話がのってました。

実習中でのある出来事をきっかけに判らなくなりました。
外科病棟実習の時に、手術後の経過が悪く、それでも、一生懸命に生きようって患者さんも、家族の方も頑張っていた方々と出会いました。その方が亡くなった日の午後、夜勤の看護婦さんが病棟に上がってきた時に、婦長さんが「OOさん!今日ねあの人亡くなったのよ」 私は、患者さんが亡くなった事を知らせてるのだと思いました。だけど、、、夜勤の看護婦さんはすごく嬉しそうに「本当に!婦長さん!良かったぁー。私あの人が生きてたら今夜の夜勤どうしようかと思ってたのよ。」 婦長さんも嬉しそうに「良かったね-」と夜勤の看護婦さんにハグしてたんです。 詰め所の外にはまだ、ご家族の方がいるのに、、、、、
患者さんが死んで自分の仕事が軽くなったと喜んで言葉に出して話していた二人の姿が今でも忘れられません。勿論、その後の実習で沢山の尊敬できる看護婦さん達と出会い、「絶対にあんな看護婦にはならない」と心に決めています。勉強になったと思うようにしています。


このような看護師さんが本当にいそうです。看護師という仕事を単純に仕事として、慣れていくとこうなってしまうのではないでしょうか?
なんでもそうですが、基本に立ち戻るような看護が理想ですね。

rotaman さんのコメント...

ナイチンゲールがいっていることは、普通の病院や忙しい病院では、助手さんといわれる方がやっています。でも、それが看護の基本だということで、当院では助手さんはいれないで、すべて看護婦さんが看護してくれます。

ありがたいことです。

匿名 さんのコメント...

現実には信じられない事って結構あるのですね。どんな仕事でもそうですけど、自分で選んだ事には誠心誠意を持って接していきたいものです。医療に従事する人ならなおの事、単なる生活の糧としての仕事であって欲しくないと思うのは、身勝手な言い分でしょうか。学校の進路指導でも、成績優秀だから医者になれと言った教師もいたりしますが、確かに優秀なら、どんな学部にも進学可能だと思います。ただ、命を扱う現場には人の心をも大切に見てくれる人を望みます。弱者が相手ならなおの事、気配りが大事な気がします。
理想かもしれませんが、自分では常にそうありたいと願います。

rotaman さんのコメント...

どんな仕事でもそうですよね。
医者は、その仕事をするうえで、膨大な知識や、それを応用する力など、やはり学業が優秀でなければ、できないこともありますが、その職業がら、人格的にも、鍛え抜かれた人でないといけないということがありますが、そこの人格の部分が、学業と同様ではないところに問題があるのではないかと思います。
、医と看護の基本は、心のこもった行動が基本ですから、それは学業とは関係なく、可能ですが、そこらへんがみんな忘れていくのではないでしょうか?
とくに仕事に慣れ、立場がえらくなれば、なるほど、患者さんとの距離が広がり、どんどんその気持ちが薄れていくのでしょうか?

現場に戻れてよかった。