人を慮ることができれば、相手がいまどう感じているか?どうしたら嫌な思いをしないですむか?などと、想像力を常に働かせて人を接することが、とても大切です。
それは、相手から嫌われないこともありますが、さらにその上の好かれるためにも、必要なことだと思います。
それを常に維持するためには、いつもそれを意識しないといけませんし、自分に余裕がなくなると相手を慮ることなんかできなくなる可能性が高いです。
自分さえよければ、良いという感じでは、接客業は成り立ちません。常に、相手を慮ることを意識する必要があります。そして、それができるようになってくるとその上の心をこめてという行為に行き着くのだと思います。相手を思いやり、心をこめて人に接することができるよう常に努力が必要です。最初からこれができている人は、キリスト様くらいではないでしょうか?煩悩のある人ですからこそ、努力が必要なのです。最初は、真似でもいいのです。それがいつか本物になります。
9 件のコメント:
「慮る」とても大切な言葉ですね。
患者さんに対してもですが、一緒に働く仲間に対しても同じだと思っています。
いつも、口癖のように言うのですが、
スタッフ同士で気遣いや配慮ができない人は、患者さんに対してもできない。
使いわけができるなんてあり得ないよ!!って指導します。
チームワークを大切できる医療職の集団は医療やケアに対しても大切にできると考えています。
それが、「質」や「サービス」につながるのです。
某循環器に特化した施設で勤務しています。
藤田先生のブログを読ませていただき、先生のような方が医療チームの仲間だったら・・・と思います。
看護について理解を示してくれる医師が少ないです。
実践、経営、人材管理と多岐に渡るマネージメント、頑張ってくださいね。
人の心ほどわからないものはありませんね。お互いにほんの少し相手の立場になって接すれば、すべて事もなしに過ぎると思うのですが、当たり前の事が出来ないのが人間なのでしょうか。
実際の行動と朝礼で言う事と違います。
それに朝礼が長い。
実際どこらへんが違いますか。朝礼は、ながく感じるということですね。よろしく
藤田先生 こんばんは。
『慮る』...今日は この言葉を朝から何度も考えていました。
最初の匿名さんが 仰るように とても大切な言葉だと思いますが 今は この言葉の意味をよく理解せずに 口にする人がいるかな、と。
口では 何とでも言えます。 それをきちんと実践しているか、と言えば そうではない人の方が多いかと。
yuzuさんが仰るのも わかりますが それが 普通の人間だと思います。 皆 自分のことで精一杯で 哀しいですが 心に余裕が無いんだと思います。
2番目の匿名さんは ハートセンターの方でしょうか? (もしも間違っていたら ごめんなさい) 藤田先生は すべて 本当だと仰いますが 私には その時々で 仰ってらっしゃることが違っていると思うことがあります。
ハートセンターは藤田先生の夢であり 希望であり ロマンだと以前に仰ってました。
いつまでも変わらない....藤田先生でいてください。
皆さんありがとうございます。人の心ってわからないものなのです。言葉や文書からうけとって、言っていることが違う、行動と違うと思うということですね。一に患者、二に職員のために働いています。そのための行動や、発言が違って感じるのでしょうね。それが、慮ることの難しさの現れだと思います。
札幌ハートセンターは、僕と道井先生の夢、希望、ロマンで運営していきます。そのためにやりたいことを当然させてもらいます。
藤田先生お疲れ様です。
人間は理論と実践がなかなか伴わないものですが、少しでも理想に近づくよう努力する生き物だと思います。
私の周りには誰かに何かする時は、自分の身内の事のように一生懸命やってくれる人が多いです。
そういう人に恵まれていたから、自分もそうありたいと思います。
反面、よくそこまで人の気持ちをズタズタに出来るものだとある意味感心する様な人もいましたが。
渡辺和子著”置かれた場所で咲きなさい”の中に「価値観は言葉以上に実行している人の姿によって伝えられる」とありました。
yuzuさんそのとうりです。言葉と実行です。それが簡単に理解できないこともありますが、実行することも、大切です。
自分が思っていることを、上手く他人に伝え理解してもらうこと上手くできるようでできないですよね、でも同じ目的をもった人であれば通過点通過方法が違うにしても、ゴールは一緒だと思っています。幾度となくぶつかってしまう(腹を割って話す)こともあるかと思いますが、ぶつかることがなかなかできない人他人を思いやることのできない人が最近増えたかもしれませんね。
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