夜間の対応で、とりあえず、最初は心臓についての検査をしたが、問題なかったのですが、看護師のひとことで、家族が激怒してしまいました。
それは、当院は心臓の病院なので、心臓以外はみれないようなことをいったみたいです。
当院は、心臓血管の専門クリニックですが、僕は内科専門医もあり、夜間の対応ふくめて、循環器以外も対応していきます。必要であれば専門病院にドクターカラドクターに紹介しています。
かかりつけであれば、どんな病気でも一度当院でみて、それから紹介する。患者さんを困らせないためです。
初診で、お腹がいたいのだけどなどと専門以外がみれるかの電話がきたら、電話で僕が応対して、専門の病院にいったほうがいいということはありますが、基本は、循環器以外も当院でよければ、全部みます。
当院で、診れないものを、受け付けないほうがいいというご意見もありますが、経験的に、僕らがみて、専門病院に直接おくってあげたほうが患者さんが幸せのことの方が多いと信じています。
SCVCでは、ネガティブは発言は原則、禁止ですので、みなさんよろしく。
17 件のコメント:
藤田先生今晩は
普通、外科や耳鼻科と言った誰でも明確にわかる診療科目ならいいのですが、患者さんにとって内科系は一般に何でも診て貰えると思います。
家族にとって不安を一杯抱えていた矢先、何気ない一言は、受け取り方によっては行き場のない不安が爆発したかと思います。
病気の時は医師や看護師さんだけが頼りです。悪気がなくても受け取り方次第で、誤解を招きますね。
人と接する事が多い仕事は、その場に応じた言葉を選らばなければなりませんね。
その辺は難しいですね・・・。
ご家族の方がひょっとして看護師さんの言葉に対して、正確に理解する能力に欠けていたかもしれないし、優先しなければならいことの判断も忙しいと分からなくなったりしてしまうこともありますね。
今はどこの企業や組織にも会話術が必要なようです・・・。
yuzuさんの言うとおり、その場に応じた言葉選びこれも大事ですね。
コーチングを職員対象に講習会をするとか~(^0^)~
有能な人材が辞めていかないように一貫した指導方法論。これ、大事ですね
コメントありがとうございます。
会話力って大切ですよね。人と人の接点を大切にしてあげないといけないんですよね。
最近、よく思うことが、SCVCの患者さんがものすごく増えているのは、SCVCの医療技術のすごさもありますが、自分の会話力のすごさではないかと思います。
胸が痛い人がいても、カテーテルをつかわなくても、直せそうな気がします。
もし、医者になっていなくても、新興宗教の教祖になっているような気がします。
半分冗談ですが、いかに相手を納得させるかが、大切なんだと思いますし、そのためには、会話力という技術とともに、誠心誠意の心をもって会話することが最大限重要なんだと思います。
心から患者さんのためにと思って接すれば、今回のようなことは、起きにくいと思います。
お疲れさまでした。
「餅は餅屋」
特にそう思うような先生もいらっしゃいますが、藤田先生の当直の時は、どんな症状の患者さんが来ても安心して介助についていられました。
他科へ紹介するときの患者さんへの説明も、患者さんが安心して任せることができるようなお話で、私自身にも勉強になっていました!
これからの医療は、特に分野が細かく分かれてしまい、「どんな症状も診ることができますから安心して来てください」と言ってくれる病院や先生はますます減っていくのでしょうね・・・・。
体調の悪い患者さんにとっては、あまり細かく分野が分かれてしまうことで、どの科に受診していいのか分からず、症状が進行してしまったり、その場しのぎの診察と処方で返されてしまったりと病院に対して不信感を抱く方もいます。
そんなときの医療従事者の一言は良くも悪くも大きな意味があるものなのでしょうね。
前病院でのハードな勤務があっての藤田先生なのでしょうね!
理念を薄めず、がんばってください!
私もデスクワークが中心の仕事ですが、日常の大半を様々な立場で人と接する事が多いです。
時には自分の言ったニュアンスと違った受け取り方をされて、落ち込む事もあります。
どう誠意を尽くしても、相手のセンシティブな感性によって、仕方のない時もあるかと思います。
言葉は難しいです。
どんな思いやりも、会話のキャッチボールが上手く出来なければ相手に伝わりませんね。
かりんさんが書かれているように、受け取る側の判断力によっても、大きく変る気がします。
おはようございます、教祖様(^0^)
その自信は全て根拠があるんですね。
ブログはいいもんですね。
先生が分かる。
そして皆さんのさんのコメントは勉強になります。素敵!
今日は健康セミナー、講演会に生徒さんと行ってきます~。
先生も今度は北見でお願いします~!
いまは、救急総合という名の一次救急があります。最近、夜間にそのような場所にいって、不安定狭心症の人がニトロを持たされてず、帰されて、翌日循環器にいくようにいわれて、当院にくるケースが結構多いです。
ここに、問題が二つあります。
一つは、不安定狭心症という診断がつけば、これは即入院適応なのです。それができていないこと。
もう一つは、そこの病院には、循環器があるので、コンサルとされていないこと。
救急総合診療は、すべての専門の科をしっかり理解したシステムでないと、単なる救急屋さんになってしまいます。
一次救急って、難しいですよね。
ちなみに、今日は医師会から指定されて、札幌の一次救急をやります。腰山院長と一緒にやります。すこしでも、医療のお役にたてればと思います。
藤田先生、お疲れ様です。
今日は腰山先生とごくろうさまです。私も同じ経験があります。15年前、母が救急車で運ばれることになった時かかりつけの病院がなかったのである総合病院にはこばれました。全部処置が終わり入院になりました。
先生の話も終わり若い看護師さんが一人のこり、わたしがありがとうございました。といったらうちの病院かかりつけではないですよね、といわれ、はい、と答えたら、かかりつけじゃないのにうちの病院にきたんですか、といわれ、目が点になりました。これが人の命を救う仕事についている人の言葉かと腹がたちました。仕事というよりも人間性の問題ですよね。その人のもっている思いやりはそうゆう時にでるのだとおもいます。
それは、目が点になります。
医療人であるならば、医師、看護師、コメディカル、事務含め、職員は、患者さんに対して、真心をもって接する必要があります。
その若い看護婦さん(いまはお年でしょうが)も、看護学校にはいって、戴帽式などあり、患者さんのためにがんばるとおもっていたはずです。それが、上の人の考え方に染まっていくのでしょうか?仕事と割りきってしまう人が多くあります。患者さんが一人でも多くくると、大変だと思うようになるのですね。
たくさん患者さんをみても、給料が増えることもないので、お役所的になってしまうのではないでしょうか?
医療は仕事として割りきってはいけない聖職だと思っています。そこにやはり、自己犠牲ができないとだめなんだと思います。
人間が絡んでくると、仕事と割り切れないものがありますね。
最近別の部署で退職された方々で、本来なら休暇を取るべき日に、最後まで職務を全しました。
それはやはり利用される方の為に、です。
本当にこれが仕事をするプロだと、頭が下がります。
最後にはその人の持っている資質が問われます。
この先何処へ行っても、幸せでいられる事を願わずにいられない出来事でした。
そうですね。それは、人間性ですね。誰かを困らせたくないという気持ちで、自己犠牲する人は、本当に偉いと思います。
医療においては、この気持が大切なんです。それを忘れてしまっている人が多いのが、残念ですが。
SCVCでは、そんなことがもう起きないように、啓蒙していきます。
初めまして、失礼します。
個人的には藤田先生が倒れたら成り立たない医療は、良い医療だとは思いませんし、それが昨今の日本の立ち去り型サボタージュを起こした根幹だと思います。医師の自己犠牲、聞こえは美しいですが、それが本当に日本の未来のためになるのか、この辺は先生はどうお考えになりますか?何かの犠牲の上に成り立つ物というのはやはり脆弱だと思いますし、私としては何か起きた時に代わりが効くシステム作りの方が今の日本を取り巻く医療問題に有効だと思います。
医療過疎地での取り組みと、先生の開業スタイルが180度違う事が興味深いですし、これは開業クリニックと公立病院勤務医で異なるのかもしれませんね。
匿名さん、するどいコメントありがとうございます。
確かに、当SCVCは今は僕が倒れたら、おしまいというか?普通の病院になってしまうのは、事実かもしれません。それをいかに、継続した医療にしていくかも、僕の腕のみせどころでしょう。
地域の医療崩壊の根本は、やはり医者不足だと思います。医学部の定員を減らし、かつハードワークに耐えれない医師を育成し、かつ、それをちゃんと回していた医局制度を破壊した国の方針が間違っていたのだと思います。医者の定員を増やして、医局制度を復活させたら、簡単に地域は復活すると思います。ただ、以前のような公務員的な医療になるかもしれませんが、都会と、地域では、医療の需要と供給のバランスが異なるので、地域ではそれでいいのだと思います。
ただ、自己犠牲ができる人が、医療をやって患者さんにやさしくできればすばらしいことだと思うというそれだけです。
僕の開業スタイルはかなり、いままでのスタイルからみると異質にうつるかもしれません。
これも、よくもわるくも、医者になってからの生き方のせいかもしれません。
僕がいなくなったときのことですが、以前の病院から突然、退職した経緯があるのですが、そこの病院は患者さんの数も、カテーテル件数もさほど、落ちることが、当面はなかったです。ですから、僕がいなくなっても、瞬間的な影響はないのだと思います。しかし、年数がたつにつれて、徐々に効きます。これは、それ以降の患者さんへの対応などにおいて、僕が培ったHow toが実践されなくなり、本来のそこの病院のもっている力の現実がでてくるのではないでしょうか?
という感じです。良いコメントありがとうございました。
人の命はどう頑張っても限りがあります。
未来永劫、治療に携われる訳もないし、先生の今の技術を、如何に次世代に引き継いでいくかが今後の大きな課題の一つですね。
その施設にこの人あり、またその人がいなければ成り立たないのも困ります。
先生の理想を受け継いで行かれる方々がいる限り、この先の歳月の積み重ねの中に、施設はきっとゆるぎない物になっていると思います。
人を扱う仕事は、書類を片付けるように簡単にいきません。
携わる側は多少の自己犠牲というより、負担よりも満足感もあるかと思います。
中には、この人はなんで医者になったのかな?看護師になったのかな?と思うような人がいるのも事実でしょうね。
歴史をみると、組織は必ず繁栄、崩壊するので、ずーと継続はむずかしいでしょうが、少なくとも僕の考え、技術を直接おしえることができる次の世代の先生まではなんとか継続させたいですね。
幸いにも、僕のいまの直属の若い部下3人および全国にいる隠れ信者のやる気のあるドクターがついでくれると思います。
藤田先生
お返事ありがとうございました。先生は昨今の医師不足は医局制度に問題の根幹がある、という認識ですよね。私は全く違っていて、医師不足の根幹は医師患者間の相互不信、大きく言えば、現在の日本国民全体が抱える他者に対する赦し、の概念が無くなってしまったからだと思います。医師を増やしても結局今の偏在通りに医者が多いところには集まって、足りないところには誰も来ない、という図を増長させるだけだと思います。何故医者がいなくなったか。それは医師が自己犠牲をする事に疲弊し尽くしたからです。昔といっても15年くらい前までは、田舎のそれこそたった一人の医師で収入はそんなに無くてもそれこそ医者は神様だった。医者もそんな自分の存在意義に満足して仕事をしていた。若い医者が少しのミスをしても大きく受け入れてくれる患者側の度量があった。(私は決してミスを許して欲しいと言ってる訳ではありません)医師という人は元来、自己犠牲感の強い人が多いと思います(もちろん例外もいますが)。それが昨今では、田舎の公立病院で24時間365日休み無く働き、収入も労働時間、リスクに比べれば極端に低く、その上で人助けという満足感どころか下手をすれば訴訟を起こされたり、挙げ句の果てには殺人犯と見かけは全く同じような内容で手錠までかけられる。こんな日本の社会で医者をやっていく事に疲弊したのだと思います。患者としての権利ばかりを訴えて、極めて安価で世界一の医療平均レベルを貪る国民に葬られたのです。こういう患者の権利を声高に訴える習慣はアメリカの悪影響なんですかね。なので医師を増やしただけでは絶対に今問題になっている医師不足は無くならないと思います。ただ単にアルバイト医や非常勤医などのローリスクのポジションに医者が増えるだけです。先生が僻地の公立病院や孤島で、たった一人の医師として勤務していたとしても、今ブログで書かれている内容と同じ事を先生が言えていたら、その時に初めて経営者ではなく医者の言葉として受け入れる事が出来ます。私にとって、患者さんはお客さんではありませんし、医療は絶対にサービス業ではありません。日本の医療保険では医療はサービス業として成り立ちませんし、サービス業としての医療を目差せば日本の医療機構は破綻すると思います。もちろん国民が自費診療並みに払うリスクを取るというのならば話は別ですが。最後に、やや批判的になった閉まった事を本当に申し訳なく思います。私は先生の1ファンであって、決して批判するためにこれを書いた訳ではありません。先生のお考えを聞きたかっただけです。とにかく呉々もおからに気を付けて、頑張って下さい。
気持ちよくわかります。昨今医者、患者の不信感から、訴訟のリスクも高く、マイナーの科にいく先生が多いこと。
僕の循環器はリスクが高いと思います。
たぶん、僕は僻地にはいかないと思います。いまの循環器の仕事が大好きで、それで患者をみることが楽しくてしかたありません。僻地の公立病院での勤務で、いまと同じようにできるかは、疑問ですね。でも、やってるかもしれませんが、ただ、昔から、患者をみて、助けることに喜びを見出していたので、こうなってしまったのでしょうか?
開業して、思うことは、うるさいことをいう人はほとんどいません。昔のように先生におまかせしますと、いわれるだけです。昔の医者と患者さんってこうだったんでしょうね。古き良き時代の医療をやっているのかもしれません。医療がサービス業といえるのは、都会型の医療の時だけです。おっしゃるとうり、僻地ではサービス業である必要はないと思います。札幌という都会で、専門の知識をいかしたクリニックで医療をやっていくうえでは、サービス業という感覚は必須だと思っています。
本当にするどいコメントありがとうございます。
僕もいけるところまで、自分の信じる道を全力投球します。
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