僕が小学生、中学生のときは、ビンタ、もみあげつまみや、廊下に立たされたりしました。生活指導の先生にいたっては、とてつもなく怖かった思い出があります。なにが良くて、悪いかがわからないから、学校でそれを学んだようが気がします。そのような恐ろしい先生も、当時から憎むことはありませんでした。親もしかり、子供のころは、悪いことをすると、殴られたり、家の外に放り出されたりしたもんです。そのようにしながら、いろんなことを覚えていくし、我慢ということも、覚えたような気がします。
そしてそのような、体罰といわれるものも、愛情をもってすれば、許される時代であったと思われます。
そして、そのような体罰も、プレッシャーとなり、そのプレッシャーのなかで、成長していく自分があったような気がします。
生ぬるい世界で、人は成長するのかは個人的にはとても、疑問です。ただし、そんなプレシャーがなくても、やっていけるという特殊な人はいるかもしれませんが、己を知れば知るほど、人は怠惰であり、常に緊張を維持しなければ、いけないと思う今日このごろです。
2 件のコメント:
私の時代も男子生徒はよく殴られていましたが、親に言うとお前が悪いと二重に叱られるので内緒にしている人が大半でした。
何かあったら廊下に立たされるのは、日常茶飯事ありました。
ただ今と異なるのは、ガキ大将的な子はいても陰湿ないじめはなかったと思いますし、体罰と言っても相手の心を傷つけたり、怪我をしたり死に至るなど、加減というものを知らなすぎます。
また大人も子供も精神的に脆い人が多い気がします。
どうしてでしょうか。
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yuziさんありがとうございます。たぶん、僕らのころは、ぼくらを教える人は、戦争経験者が多く、古き良き日本をしっている人だったのだと思います。いまは、戦後教育で育った人が教える側にたって、大人も、子供も、もろくなっているのでは?とおもいます。子供の教育は、家庭と、学校で覚えていくはずが、いまは両方とも危うくなっているのでは?とおもいます。モンスターペアレントなんて、ありえないと思っています。
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