最近、よくあることに、命令を出したはいいが、それが実行されないということがあります。その原因のなかに、命令の重要さを理解していない人がいます。例にすると
Aさんに、Bの内容を伝えて、Cをしてもらってください。という指示をDさんに僕が命令をだしたとしましょう。
結果、Dさんは、Aさんには、Bの内容を伝えましたが、Aさんの理解力不足もしくはうっかりで、Cが行われませんでした。
この場合、Aさんは、Cという仕事をしなかったわかですから、それは、注意に値します。
でも、僕の命令をうけたDさんは、どうでしょうか?
Dさんは、たしかに、僕の命令をAさんには、つたえましたが、Cという仕事をAさんにさせることができませんでした。
僕の命令が、DさんがAさんに伝えるだけであるならば、Dさんには非はありませんが、僕の命令は、Cをさせることなのです。DさんはAさんにちゃんと伝わったのか?ちゃんと理解したのか?そしてちゃんとCをしてくれるのか?そこまでする必要があります。CをAさんにさせることが仕事なのです。
人が増え、業務が増えると、人から人への指示の伝達がとても多くなります。
そのときに、結局命令が行われなかったときに、責任の所在は、それを橋渡しした人にも、責任があるんだということを理解しないといけません。
そのようなことが理解していないと、命令を伝えることが仕事だと勘違いされて、命令を伝えたので、自分には、非がないなんて、バカなことを言い出します。
夢や、希望は、結果よりプロセスが大切ですが、命令を伝言するときには、結果が重要で、伝言することが仕事ではなく、伝言の内容を相手にしっかり伝え、そしてそれを相手が実行するところまで責任があるということを認識しながら、やってもらわないと、責任転嫁文化が反映して困ります。
10 件のコメント:
上記の例え話で、AさんとDさんの上下関係はどうなのか?
Dr藤田>Dさん>Aさんなら概ね納得ですが、もし、Dr藤田>Aさん>Dさんなのにも関わらず、「Dさんにも非がある、バカだ。」と言うのならば、Dさんが可哀相に感じます。
伝達内容が複数になると、どれか一つが抜けたりします。
すべてにメモを取る習慣が大切かと思います。
相手に正確に伝え、受ける側もしっかりと内容を把握すれば問題は起こらない、仕事をする上で極めて初歩的な事ではないでしょうか。
匿名さんへ、コメントありがとうございます。当院での仕事において、匿名さんの危惧することが起きてはいけないので、当院での上下関係は、院長、理事長のツートップでその下は上下関係なしに仕事をすると常にいい続けています。yuzuさんそうですね。とても、大変です。
ミスは誰でもします。それについては、改善策を示せば、まったく気にしません。しかし、非を認めないということは、僕から言わせるとまた、同じ事をするといっているようなものです。それでは、札幌ハートセンターでは、困ります。
『ミスをしたけど、認めたくありません』と『ミスという認識そのものがありません』の二つがあると思います。
厄介なのは後者の方です。
Suda
スダさんありがとうございます。そうですね。後者は訂正しようがないですからね。ミスはしても、それを次につなげらなければ、プロではありません。
先生の病院であれば、がんばっていない人や、責任転嫁をしようとして仕事をしている人は誰一人いないことと思います。
私も同じような経験をした事があります。
詳細は分かりませんが、Aさんを信頼して、しっかりと伝えて、期待した末の結果であれば、とても残念ですね。
また、原因究明をする前に、上司から100%全て自分のせいと決められ、バカだ、再教育が必要と怒号を浴びたら、私なら立ち直って前向きに考えられる自信がありません。先生が同じ立場ならどういうお気持ちになられるでしょうか。
仕事のモチベーションを見失い、理不尽な思いや、がんばっても報われないという思いを心に抱え、閉まいこんでいる人は、どんな職場でも少なくないと思います。
命を預かるお仕事で、結果は何よりも大切かとは思いますが、
大切なスタッフとその心を失いかけてはいないでしょうか。
このブログは、職員のためい書いています。個人のことではありません。ただ、僕はそのように考えて仕事をさせているという自覚をもたないといけないということです。
ただ、僕に自分は悪くないといえる根性のある子であれば、必ず理解して、さらによくなってくれると思っています。
理不尽にバカだ、再教育が必要と怒号をあびたら、僕なら逆らいます。ただし、自分に非があれば、普通に受け入れて、当然ながら、前向きにやります。
仕事のモチベーションを失い、理不尽な思い、がんばっても報われないという思いには、職場がならないようにしているつもりです。やりがいのある職場を目指しています。ただ、それはあくまでも、個人のやりがいは、病院の方針の中でなければ、いけないということだけは、わかってもらはなければ、いけませんが。
こんばんは。気になる事がありましたのでコメントをさせて頂きます。
もしDさんの立場の者が保守的な人間で、俗に世渡り上手な人間であった場合、がんばっていない人・責任転換をして仕事をしている人の場合、藤田先生が気づかない限り改善の余地がないように思います。気づく事が出来る環境作りがなされているでしょうか?上に立つべき人が、その器に値するかの基準は何でしょうか?やりがいのある仕事を頑張っても、報われないならやる気も無くなる一方だと思います。それでも我慢をして頑張っている人間に先生が気づいてあげて欲しいです。一度見直してあげて欲しいです。
頑張っても報われないことは、ありません。Dさんには、僕が直接命令を下しているので、その状況はわかります。頑張っている人は、輝いています。オーラが違います。それは見ればすぐにわかります。
自分で頑張っているんだけど報われないと思っているのであれあれば、報われようとして頑張っているので、オーラがでていないのかもしれません。無の境地で前向きに頑張れば、オーラがでます。そしたら、必ず僕が気が付きます。
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